スコットランドの有名人

聖アンデレ

新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。シモン・ペトロの兄弟であるとされている。ギリシアのアカイア地方でX字型の十字架で処刑され、殉教したことになっており、ロシア、 ルーマニア、スコットランド、ギリシャの守護聖人。アンデレが処刑されたとされるX字型の十字架は「アンデレの十字架」と呼ばれ、スコットランドの国旗 「聖アンドリュー旗」となっている。

809年、ピクト王フングスが西サクソン王アセルスタンに攻められた時、援軍に駆けつけたスコットランド王アカイウスは戦いの前夜、光り輝く聖アンデレの十字架の夢を見て、翌日の戦いに勝利した。これを聞いたフングスは聖アンデレ寺院を建立し、聖アンデレの十字架を自らの象徴としたと言われている。

聖ニニアン(360~432)

ピクト人の土地で初めてキリスト教を説いたとされる宣教師。 8世紀ごろの書籍に記録があり、現在もスコットランド南部、イングランド北部で聖人として崇められている。

ファーガス・モール・マクエルク

スコットランドの元となったダル・リアダ王国を創始したとされる5~6世紀の人。

聖コロンバ(521~597)

ア イルランド出身の修道僧、スコットランドや北部イングランドで布教し、アイオナ修道院を創建した。アイルランド語ではコルム・キル(Colum Cille)。これは教会の鳩を意味する語である。カトリック教会、聖公会、ルーテル教会、正教会の聖人。アイルランド、スコットランドの守護聖人。

ケネス・マッカルピン(810~858)

スコットランドの統一王。それまで、スコットランドはダルリアタ王国とピクト人支配のアラパに分かれていた。

マクベス(1005~1057)

ウィ リアム・シェイクスピアの戯曲の題材となったが、実際はしっかりした王位継承権を持った王族で、在位は1040~1057年。1040年、従兄のダンカン 1世を殺害し、王位を奪った。統治能力に優れた人物と言われ、17年と当時としては長期間在位した。1050年にはローマ巡礼の旅を行っている。
1054年、マルカム・カンモーにスクーンの戦いで大敗し、1057年のランファナンの戦いで戦死した。

マルカム・カンモー(1031~1093)

スコットランド王(在位1058~1093)。1057年にはランファナンの戦いでマクベスを討ち取った。王位がルーラッハ(マクベスの継子)に移ると、その4ヶ月後ストラスボギーでルーラッハを討ち取り、マルカム3世として即位した。
オー クニー諸島の領主シーガードの長男の未亡人で、ノルウェー王の血を引くイーンガボーグを王妃とし、ヴァイキング対策を行った。インガボーグの死後はサクソ ン王家のマーガレットと再婚し、宮廷のサクソン化を行った。イングランドへはたびたび侵攻したが、1093年5度目のイングランド侵攻において戦死した。

ウィリアム・ウォレス(1270~1305)

イングランド王エドワード1世の過酷なスコットランド支配に対して、スコットランド民衆の国民感情を高めて抵抗運動を行った英雄。1297年のスターリング・ブリッジの戦いでイングランド軍に勝利をおさめた。この戦功で「ジョン王のスコットランド王国の守護官」に任じられるが、1298年のフォルカークの戦いでイングランド軍に敗れたため、職を辞した。最後はスコットランド貴族の裏切りにあってエドワードに捕らえられ、残虐刑で処刑された。

エドワード1世 (1239~1307)

イングランド王、ヘンリー3世の長男。身長が190cmあり、Longshanks(長足)とも呼ばれた。
1290年スコットランドの王位継承抗争に介入し、1292年にジョン・ベイリャルを王位につけイングランドに臣従させた。1296年にジョン・ベイリャルがフランスと同盟して反旗を翻すと、ジョン・ベイリャルを逮捕。翌年にウィリアム・ウォレスが反乱を起こすが1305年にはウォレスを捕らえて処刑した。その後、反イングランド派に推されたロバート・ド・ブルースがスコットランド王となり、1307年に3度目のスコットランド遠征を行ったが、その途上で病死した。
度重なるスコットランドへの攻撃から、Hammer of the Scots(スコットランド人への鉄槌」とも呼ばれる。

ロバート1世 (1274~1329)

ロバート・ザ・ブルースとしても知られる。最も偉大なスコットランド国王の一人、イングランド王国に対する独立戦争においてスコットランドを率いることとなった。

メアリー1世(1542~1587)

メアリー・スチュアートとしても知られる。スコットランド王家の血を引き、フランス王妃だったが夫の死後スコットランド女王となった。ダーンリー卿と再婚したが卿は殺害され、ボスウェル伯と再婚したが、のちに廃位となり、イングランドに逃れたが幽閉され、最後は反逆の罪で処刑された。息子のジェームズはのちのイングランド王兼スコットランド王。

ジョン・ノックス(1510~1572)

スコットランドの牧師、スコットランド宗教改革の指導者、長老派教会(プロテスタント)の創立者。スコットランドのセント・アンドルーズ大学で教育を受ける。イングランド国教会の牧師として、エドワード6世に仕えて、王室付属牧師となる。メアリー・チューダーが王位に就いてローマ・カトリックを再建したため、ノックスは大陸に亡命し、ジュネーヴでジャン・カルヴァンに学び、改革派神学と長老制の体験と知識を得た。また彼は新しい礼拝式文も作成した。スコットランドに帰還し、スコットランド宗教改革を導いた。スコットランド女王メアリー・スチュアートの治世下で、プロテスタント宗教改革の指導者としての働きを続けた。

アレキサンダー・セルカーク(1676~1721)

掠船の航海長だったが、船の耐久性に不安があり、ひとり無人島に残って4年間生活した。(実際、 船は後日乗組員とともに沈んだ)。ダニエル・デフォーのロビンソン・クルーソー」の元になったと言われる。

ボニー・プリンス・チャーリー(1720~1788)

チャールズ・エドワード・ステュアート、最後のスコットランド王位継承者、1745年に王権を取り戻そうとハイランダーとともに蜂起したが、カロデンで敗退してスカイ島経由でフランスに逃走、のちに他の王位継承権者が王位を望まなかったことから、彼を最後にスコットランド王家は途絶えた。美男子として知られ、ボニー・プリンス・チャーリー(美しき王子チャーリー)と呼ばれることが多い。

ロブ・ロイ(1671~1734)

ロバート・ロイ・マクレガー、モントローズ候と戦った義賊として英雄視されている。剣の達人だったと言われるが、良く分からないところも多い。ロイは名前ではなく、ゲール語の赤毛(ruadh)の意。

ロバート・バーンズ(1759~1796

スコットランドの国民的詩人。スコットランド方言で詩を書いた。恋愛のごたごたでも有名。「ハギスに捧ぐ」や「オウド・ラング・ザイン」が特に有名。

デヴィッド・ヒューム (1711~1776)

経済学者、外交官、哲学者として名を成し、経験論哲学を推進した。主著に「英国史」、「人性論」がある。

アダム・スミス (17231790) 

カークカルディ生まれの経済学者、神学者哲学者。国富論を著わし、自由経済経済学の父と呼ばれる。

ジョゼフ・ブラック(1728~1799) 
 
スコットランド人を両親とし、ボルドーに生まれる。物理学者で化学者、潜熱や熱容量の概念を確立し、二酸化炭素を発見した。グラスゴー大学で医学、化学の教授を、エジンバラ大学で医学と化学の教授をつとめ、化学の定量的手法、熱学の進歩普及に貢献した。


ジェームズ・ワット (1736~1819) 

スコットランドの機械技術者。トーマス・ニューコメン蒸気機関の効率化に成功し、産業革命の進展に寄与した。

ジェームズ・ボズウェル(1740~1795)

エジンバラ生まれの法律家、作家。伝記「サミュエル・ジョンソン伝」で知られる。

ウォルター・スコット(1771~1832)

エジンバラ生まれの詩人で作家。エジンバラ大学で法学を学び、父の跡を継いで弁護士となる。25歳より文筆活動を始め、当初は詩人として、後に歴史小説作家として名声を博す。小説ウェイヴァリー、ロブ・ロイなど多数

ロバート・スティーブンソン(1772~1850)

グラスゴー出身の灯台技師。貿易商の家に生まれるが幼くして父親を亡くし、母親は金属化工業者でランプ製造者のトマス・スミスと結婚。ロバートは北方灯台委員会の技術者となったスミスのアシスタントとして働き、その後、スミスの後をついでほぼ50年にわたり北方灯台委員会の技術者として灯台建設に関わり、技術革新を行った。灯台建設のほか、橋梁建設にも関わり、ベル・ロック灯台やリージェント橋など、現在も数多くが使い続けられている。


小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソンはロバートの孫。


トーマス・カーライル(1795~1881)

ダンフリーズに近いEcclefechan生まれの歴史家、評論家、ビクトリア朝時代を代表する言論人。代表作に英雄崇拝論、フランス革命史、オリバー・クロムウェルなど。ドイツ文学研究でも実績があり、ゲーテとも親交があった。


パトリック・ベル (18001869)

スコットランド教会の牧師で発明家。稲刈り機の原型を作った。

ジェームズ・クラーク・マクスウェル (18311879)

エジンバラ生まれの物理学者。 1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立した。さらに電磁波の存在を理論的に予想しその伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示した。

トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911) 

アバディーン出身、武器商人として幕末の日本で活躍し、造船、採炭、製茶貿易業の分野で日本の近代化に貢献した。

サー・ジェームズ・デュワー(1842~1923)

フォース湾岸にあるキンカーディン=オン=フォース生まれの化学者で物理学者。液体酸素が磁性を持つことを発見し、水素の液化と固化の成功など低温物理学の分野で先駆的な研究を行った。魔法瓶(デュワー瓶)、コルダイト火薬(無煙火薬の一種)を発明した。

ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850~1894)

エジンバラ生まれの小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイストである。弁護士の資格も持っていた。ジキル博士とハイド氏、宝島など多数。

アレクサンダー・グレアム・ベル (1847~1922)

電話を発明したエジンバラ生まれの科学者。光無線通信、水中翼船、航空工学などの分野でも業績を残した。 


サー・アーサー・コナン・ドイル (1859~1930)

エジンバラ生まれの歴史小説家、劇作家。代表作であるシャーロック・ホームズのほか、数多くの作品を著わした

渡邊嘉一(1858~1923)

日本の土木技術者で実業家。日本土木史の父と呼ばれる。フォース湾を横断するForth Bridge建築で監督として採用され、帰国後は鉄道建設を初め多くの土木工事、関連企業の経営で活躍した。Bank of Scolandの20ポンド紙幣には彼の姿が見られる。

ジョン・ボイド・オア(1880~1971)

東エア州Kilmaurs生まれの医師。奨学金を得てグラスゴーで学び、アバディーン大学で栄養に関する研究を始めた。1945年から1947年までグラスゴー大学学長を務め、1946年にはグラスゴー大学総長。栄養に関する科学的調査と国際連合食糧農業機関(FAO)の初代長官の功績が認められ、1949年ノーベル平和賞を受賞した。


アレクサンダー・フレミング (18811955) 

ペニシリンを発見した科学者、1945年にノーベル賞を受賞。

ジョン・ロギー・ベアード (18881946) 

光電管を使い、テレビを実用化した。カラーテレビの実用化も同じくベアードが行った。

サー・トマス・ショーン・コネリー (1930年

エジンバラ生まれの映画俳優。初代ジェームズ・ボンド役で有名となり、数多くの映画に出演。2000年にナイトの称号を与えられ、授与式にはキルトで臨んだ。スコットランドの分離独立を支持している。

アレックス・ファーガスン (1941~) 

1986年から27年間プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCの監督を務めた。元は選手、ダンファームリン・アスレティックFCとプロ契約を交わし、スコティッシュ・フットボールリーグの1部リーグで得点王、レンジャーズFC等でプレーし1974年に引退。その後、アバディーンFCの監督に就任し、リーグ優勝3回、国内カップ優勝4回、リーグカップ優勝1回の成績を残し、1983年にはUEFAカップウィナーズカップを優勝した。さらに、アバディーンの監督を務めながら、スコットランド代表のアシスタントコーチも兼任した。

ビリー・コノリー (1942~)

グラスゴー生まれのコメディアン、ミュージシャン、俳優。出演作にXファイル、ホビットなど多数。 

トニー・ブレア (1953~)

英国の政治家、弁護士。第73代英国首相。労働党党首としてスコットランドへの権限委譲を党の政策とし、結果スコットランド議会設立へと導いた。貴族院の世襲議員議席数の制限と最高裁判所の権能独立という二大改革を行ったことで評価される一方、イラク戦争参戦に関しては批判もあった。

アレックス・サモンド(1954~)

前スコットランド第一大臣、スコットランド独立を目指して頑張った後任はニコラ・スタージョン。

ユアン・ゴードン・マクレガー(1971~)
 
クリフ生まれの映画俳優。代表作にトレインスポッティング、スター・ウォーズなど多数。叔父のデニス・ローソンも俳優。


参考: http://www.biographyonline.net/british/top-100-scottish.html 

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